はじめに:経験から得た普遍的な価値創造の原則
今年、SMBC 日興証券が主催する高専インカレチャレンジでメンターを務めることになった。高専出身の私にとって、後輩たちに何か価値を提供できるのは嬉しい機会である。しかし、単なる技術的なアドバイスではなく、本質的な価値を伝えたいと思い、この記事を書くことにした。
ここで紹介する原則は、ハッカソンという具体的な場面から得た学びだが、ビジネスプレゼンテーション、商品開発、プロジェクト提案、就職面接など、あらゆる「評価を受ける場面」で応用可能な普遍的な思考法である。ハッカソンはその制約された環境と明確なフィードバックゆえに、これらの原則を鮮明に観察できる場なのだ。
私自身、学生時代に出場したハッカソンは自慢になるがほぼ全て優勝している。あるときのお題は「仕様を満たすテストを設計してテストコードを実装せよ」というものだった。他の参加者がテストコードを書いている中、私は発想を一段階上げて、UI に特定の要素をクリックするだけで自動でテストコードを生成する機能を実装した。テストコードを書く時間やコストを減らしたいのでは?と、出題者の潜在的にある意図を読み取った行動をした。そして、この時も優勝できた。
この経験から分かったのは、ハッカソンの勝敗を分けるのは、技術力だけではないということだ。むしろ「評価者の心理を読む力」「真の問題を見抜く眼」「限られたリソースの最適配分」こそが重要なのである。
本記事では、ハッカソンという場を最大限に活かすための実践的な戦略について、私の経験と行動科学的な知見から掘り下げていく。この内容はハッカソンだけでなく、社会人としての仕事や問題解決にも応用できるはずだ。
評価者を理解する:判断の背後にある心理
あらゆる評価場面で成功するための第一歩は、「ルールを確認する」「誰が評価するかを知る」「その人の特性を理解する」ことから始まる。これは単なる表面的な情報収集ではない。評価者の心理、バイアス、意思決定のパターンを理解することであり、そこには行動科学の知見が深く関わっている。
ハッカソンの審査員に限らず、面接官、上司、クライアント、投資家など、あらゆる評価者は人間である以上、完全に客観的な評価などありえない。彼らの判断には様々な認知バイアスが影響している1。
これらのバイアスを理解することで、あらゆる評価場面での戦略を立てることができる。面接であれ、提案プレゼンであれ、商品開発であれ、以下のアプローチが有効だ。
- 確証バイアスに対応するため、評価者の目標や期待と一致する方法で提案をフレーミングする
- アンカリング効果を活用するため、冒頭で強いインパクトを与え、良い第一印象を形成する
- 利用可能性ヒューリスティックに対応するため、最近のトレンドや成功事例との関連を示す
- 内集団バイアスを考慮し、評価者との共通点や共有できる価値観を適切に示す
- 根本的帰属の誤りに対応するため、制約条件や環境要因を前もって説明しておく
私が前述のハッカソンで成功した理由の 1 つは、審査員が求めているものの「裏側」、つまり表面的な要求の背後にある本質的な意図を読み取ったことだ。テストコードを書かせる目的は、「テストの重要性を理解させる」だけでなく、「テスト作成という作業の効率化」という潜在的な課題にあると推測した。
これは単に「裏読み」をしているのではない。審査員の立場になって考えるということだ。ハッカソンの出題者は何を評価したいのか、企業の抱える本質的な課題は何か、そこに焦点を当てることで差別化できる。
インパクトの最大化:価値創造の戦略
ハッカソンに限らず、あらゆる場面で最も避けるべきことは、「小さいものを作り込むこと」だ。これは私の経験から確信している。インパクトの小さなプロジェクトやアイデアをいくら完璧に仕上げても、評価者の記憶には残らない。ビジネス提案、研究テーマ、キャリア選択においても同様の原則が当てはまる。
重要なのは、定量的にインパクトの大きいものを選ぶことだ。例えば、過去のハッカソンでは「大学生の生活を便利にする」というお題が出た。エンジニアのイベントなので面白おかしいものを作る人も多かったが、私たちは違うアプローチを取った。
- 大学生が何に時間を使っているかを分析
- 解決可能な課題と重要度をマッピング
- 服の組み合わせ選択に 1 日あたり数十分使っている点に着目
- 服の組み合わせを定量評価して最適化するアプリを開発
このプロジェクトの肝は、日常的な問題を定量的に把握し、それを数値で示せる解決策に落とし込んだことだ。ロジックは最初は単純な回帰分析でも十分である。重要なのは、体験に価値を感じてもらえることだ。
製品開発においてよく言われる「UX を重視せよ」という格言は、ハッカソンでも同様に重要である。限られた時間の中で、どこに時間を使うかを戦略的に考えることも UX に対する戦略の一部だ。
ここで重要な視点は「粗い作りでも、ユーザーが欲しいと思うかどうか」である。完璧な実装よりも、本質的な問題を解決する価値があるかどうかが審査の決め手となるのだ。
行動経済学の知見によると、人は損失を利得よりも強く感じる「損失回避」の傾向がある2。つまり、「新しい便利な機能を提供する」よりも「現状の痛みや無駄を解消する」方が強いインパクトを与えられるのだ。私たちの「服選び最適化」は、まさに「失われている時間」という損失に焦点を当てた解決策だった。
この原則はマーケティング、商品開発、業務改善提案などでも活用できる。例えば、新機能の追加を訴求するよりも、「この機能によって削減できる無駄な作業時間」を前面に出す方が、より強い説得力を持つ。定量的な損失削減効果を示せればなおよい。
リソース最適配分と UX の力:限られた資源の戦略的活用
ハッカソンだけでなく、ビジネスや日常生活においても、時間、注目、エネルギーといった資源は常に限られている。これらの限られたリソースで最大のインパクトを出すためには、戦略的な配分が不可欠だ。
例えば、動くものだけ欲しいなら、Figma でプロトタイプを作るのが手っ取り早い。実際、投資家へのピッチでも、多くのスタートアップは実装に時間をかけるよりも、Figma などのツールでプロトタイプを作り、アイデアの価値を伝えることに注力している。
なぜプロトタイプと UX が重要なのか?これには認知心理学的な説明がある。人間の認知リソースには限界があり、複雑すぎるインターフェースは「認知負荷」を増大させ、理解を妨げる3。シンプルで直感的な UX は、相手があなたの提案の価値をすぐに理解することを助けるのだ。これはビジネス資料、学術論文、プレゼンテーションなど、あらゆる情報伝達において重要な原則である。
また、「ピーク・エンド法則」によれば、体験の評価は全体の平均ではなく、最も感情が動いた瞬間(ピーク)と終わり(エンド)によって決まる4。優れた UX は「ワオ!」という感動の瞬間(ピーク)を生み出し、スムーズな結論(エンド)へと導くことができる。
この法則はプレゼンテーション、会議進行、顧客体験設計など、あらゆる体験デザインに応用できる。例えば、長いミーティングでも、印象的な瞬間と前向きな締めくくりを意識的に設計することで、全体の評価を大きく改善できる。
UX に時間を割くもう 1 つの理由は「価格戦略」にある。cost based pricing(コストベースの価格設定)でしか売れないものは先述した UX が悪いということだ。製品の価値はコストではなく、ユーザーが認識する価値によって決まる。UI や UX が優れていれば、ユーザーはより高い価値を認識し、結果的にビジネスモデルの優位性にもつながるのだ。
オーナーシップと主体性:あなただからこその価値
ハッカソンだけでなく、仕事、研究、趣味など、あらゆる活動で大きな違いを生むのは、オーナーシップの有無である。「オーナーシップのないプレゼンや企画ほど面白くないものはない」というのは、私がさまざまな場面で実感してきたことだ。これは一時的なイベントだけでなく、キャリア形成や人生設計においても同様である。
なぜ自分がこの問題に取り組むのか。その背景には何があるのか。これが明確になっていると、プレゼンに説得力が生まれる。行動科学的に見ると、これは「内発的動機付け」の問題だ5。外部からの報酬(優勝、昇進、給与など)のためだけではなく、問題自体への興味や個人的な意味づけがあるとき、より創造的で質の高い成果が生まれる。これは学習効果、仕事の成果、長期的な取り組みのすべてに影響する重要な原則だ。
ハッカソンや企業の課題に取り組む場合でも同様だ。主観 8 割で、その主観に最低限の根拠をつける程度で会社の経営課題と紐づければ良い。客観的な分析だけでは不十分であり、個人の視点や情熱が不可欠なのだ。
プロジェクトに取り組む際、しばしば客観的な調査や分析に多くの時間を費やしがちだ。しかし、それだけでは「主観的な気持ちや強み」が消えてしまう。企業の経営課題を調べるのは良いが、それを「あなたの強み」と組み合わせることで、独自の価値が生まれるのだ。
これは「IKEA 効果」と言われる心理効果と関連している。自分で部分的に作成したものに対しては、より高い価値を見出す心理的傾向がある6。自分の強みや経験を活かしたプロジェクトには、自然と愛着や責任感が生まれ、それが審査員にも伝わるのだ。
私が強調したいのは、「なぜあなたが取り組むのか」という問いの重要性だ。他の誰でもない、あなただからこそ提供できる視点や価値は何か。それを明確にすることで、プロジェクトは単なる課題解決から、あなた自身の成長や自己表現の場へと変わるのだ。
期待を超える思考:潜在ニーズへの応答
「期待を超えること」は、ハッカソンに限らず、あらゆる場面で重要な原則だ。1 言われて 1 しかできない人と、1 言われて 10 やる人の差は計り知れない。この原則は職場のパフォーマンス、顧客満足、人間関係など、あらゆる評価の文脈で決定的な差を生む。
しかしここで重要なのは、単に「たくさんのことをする」ということではない。「相手の言葉の裏側、潜在的に言いたいことを予想して、その期待値に合わせて行動する」ことこそが本質だ。これは顧客ニーズの理解、上司との関係、パートナーシップなど、あらゆる関係性において重要な視点である。
前述のテストコード自動生成の例でいえば、表面的には「テストコードを書け」という要件だったが、その裏には「テストコードを書く作業の効率化」や「テストの質の向上」といった潜在的なニーズがあった。それを読み取り、一段上の解決策を提供したことが評価されたのだ。同様に、クライアントワークでは表面的な依頼の背後にある本当の課題を発見し、チームプロジェクトでは明示されていない組織の目標を理解することが差別化につながる。
行動経済学の視点から見ると、これは「期待と参照点」の問題だ7。評価者の期待(要件を満たすこと)が参照点となり、それを超えるパフォーマンスが「利得」として認識される。特に、表面的な要件を超えて、潜在的なニーズに応えることは、大きな「利得」として認識されやすい。この原則は昇進評価、顧客レビュー、プロジェクト評価など、あらゆる評価システムに当てはまる。
ただし、「その予測が外れたらかなりダメージが大きい」というリスクも存在する。期待を読み間違えると、基本的な要件さえ満たせていないという「損失」として認識される可能性がある。特に「損失回避」の傾向から、このネガティブな評価はポジティブな評価以上に強く記憶される。
このリスクをどう管理するか?私の経験からは、保守的ではあるが基本的な要件を確実に満たした上で、「プラスアルファ」として潜在ニーズへの対応を加えることが重要だ。基本要件をおろそかにして先走ると失敗するが、基本を押さえた上で一歩先を行くことで、リスクを最小化しながら期待を超えることができる。
ただし、重要な点としてハッカソンはこの限りではない。
成長マインドセットの実践:失敗から学ぶ
ハッカソンは仕事とは異なる特別な場だ。ハッカソンは仕事じゃなく、人生で失敗できる機会は実はそこまで多くないため、特別な価値がある。しかし、この「安全に失敗できる場」という考え方は、サイドプロジェクト、学習環境、プロトタイピングなど、様々な場面で意識的に作り出すことができる。
ここで重要な区別は、「攻めた失敗」と「守った失敗」だ。攻めた失敗とは、新しいアイデアや手法に挑戦し、結果として期待通りにならなかった場合だ。一方、守った失敗とは、リスクを避け、無難な選択をした結果、何も得られなかった場合を指す。この区別はキャリア選択、投資判断、研究方針など、あらゆる意思決定に適用できる重要な概念である。
攻めた失敗なら良い経験である。この考え方は、心理学者キャロル・ドゥエックの「成長マインドセット」の概念と一致する8。成長マインドセットを持つ人は、能力は努力と経験によって開発できると信じ、挑戦を受け入れ、失敗から学ぶ。一方、「固定マインドセット」の人は能力は固定的だと考え、失敗を避けようとする。
この考え方は教育、人材育成、自己啓発など多くの領域で革命的な影響を与えている。個人としても、チームリーダーとしても、この視点を取り入れることで、失敗への恐れを減らし、より大胆な挑戦を促進できる。
ハッカソンのような「安全に失敗できる環境」は、成長マインドセットを実践するのに最適な場だ。失敗したらそれは良い経験で、成功したらかなりの自信と実績につながり好循環が生まれる。これは学習と成長を促進する理想的な条件と言える。
私自身、テストコード自動化という「攻めた」アプローチを取ることで、たとえ失敗したとしても「テスト自動化の難しさ」について学べると考えていた。結果的に成功したことで、期待を超えることの価値と、潜在ニーズを読み取ることの重要性を実感できた。
最後に重要なのは、優勝したか否かなんて、表彰式の後には誰も覚えていない。本当に価値があるのは、そのプロセスで何を学び、どんな経験を得たかだ。ハッカソンの本質的な目的は優勝ではなく、自分の課題にどれだけ寄せられるかの自己成長の機会なのだ。
おわりに:普遍的な価値創造の原則として
ここまで述べてきた考え方は、ハッカソンという具体的な文脈から生まれたものだが、その適用範囲は遥かに広い。これらはビジネス、学術研究、クリエイティブ活動、人間関係など、あらゆる価値創造の場面で活きる普遍的な原則だ。
私がこれまでの経験から抽出したこれらの原則を、様々な文脈で応用できるようにまとめると、以下の通りである。
- 評価者の心理を理解する → ビジネス交渉、面接、提案書作成、プレゼンテーション
- インパクトの大きな課題に集中する → 事業戦略、研究テーマ選定、時間管理、キャリア選択
- UX と認知負荷に注意を払う → 情報デザイン、教育方法、コミュニケーション、製品開発
- オーナーシップと主観的価値を大切にする → チームリード、起業、創作活動、生きがい設計
- 期待を超える潜在ニーズに応える → 顧客関係構築、職場での評価向上、サービス設計
- 攻めた失敗から学ぶ成長マインドセット → 学習法、人材育成、イノベーション文化、自己成長
高専インカレチャレンジに参加する皆さんには、ぜひこれらの視点を意識してほしい。
そして何よりも、自分自身の成長機会としてこの経験を最大限に活かしてほしい。制約条件が他人から評価されることで、目的関数が自分に残る経験の最大化である。あくまで目的関数が優勝ではない。この考えを胸に、挑戦してほしい。
最後にこの言葉を贈りたい。「他人に思考を委ね楽をした時点で、得るものは減っていく」。この言葉を忘れずに、自分自身で考え、挑戦し、成長してほしい。それこそが、ハッカソンの、そして人生の本当の勝ち方なのだから。
参考文献
Footnotes
-
藤田政博『リーダーのための最新認知バイアスの科学 その意思決定、本当に大丈夫ですか?』(技術評論社、2023 年) ↩
-
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?』(早川書房、2014 年)ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか? - Amazon ↩
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「より良い UI デザインのために、認知負荷を減らす 6 つの方法」アドビブログ ↩
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「ピーク・エンドの法則 (Peak-End Rule) とは」松岡塾 UX 心理用語集 ↩
-
「内発的動機づけとは何か、その仕組みとは?」Asana ↩
-
「IKEA 効果(イケア効果)IKEA Effect」UX DAYS TOKYO ↩
-
「プロスペクト理論とは?わかりやすく解説!身近な例や損失回避の心理学、フレーミング効果も紹介」Cbase ↩
-
「成長マインドセット(Growth Mindset)と固定マインドセット(Fixed Mindset)」note by Lucas ↩