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思考表現の経済学:AI時代に数学とプログラミングが再評価される理由

構造的な表現がもたらす情報効率と創造性の新たな可能性

2025年4月25日16分
思考法
AI協働開発
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数学
プログラミング
情報理論
吉崎 亮介

吉崎 亮介

株式会社和談 代表取締役社長 / 株式会社キカガク創業者

思考表現の経済学:AI時代に数学とプログラミングが再評価される理由

「思考を表現する」というコストの再発見

最近、私は AI との対話を通じて「思考を表す」という行為について深く考えるようになった。複雑な指示を AI に伝えようとするとき、私は無意識のうちに思考表現の効率性を追求している。言葉を選び、文章を組み立て、修正する試行錯誤は、頭の中にあるものを外部に伝える変換作業だ。

この変換には必ずコストがかかる。頭の中ではクリアに思えたアイデアも、言葉にすると思ったよりも伝わらない。もっと効率的な表現方法はないだろうか。そんな問いに突き動かされ、古来より人間が開発してきた思考表現の体系について考察を深めてきた。

結論から言うと、プログラミング言語や数学的表現は、思考を伝えるためのデータ量的に最小コストの表現形式である可能性が高い。この直感は、AI 時代に入り、人間同士のコミュニケーションと人間-AI 間のコミュニケーションを同時に経験する中で、より確信に変わってきた

次の図は、思考表現の方法と効率性の関係を示している。

この記事では、思考を表現するコストという観点から、数学やプログラミングといった形式言語の価値を再考察する。さらに、AI 時代においてこれらのスキルがなぜ一層重要になるのかについて、情報理論や認知科学の側面から掘り下げていく。

形式言語と自然言語:思考表現の効率性

日常的にも多くの人が使うであろうメールアドレスの迷惑メールフィルターを例に挙げると、その違いはより鮮明に現れる。

たとえば、

自然言語(88文字)
"無料"や"稼げる"、"副業"といった怪しいワードを含まず、
アットマークの後ろが小文字英数字またはハイフン、
最後が.com もしくは.jp で終わるメールアドレスだけ有効とする

というルールを考える。この複雑な条件を自然言語で全て誤解なく、短く、漏れなく書こうとすると非常に冗長で分かりづらくなりがちだが、形式言語(正規表現)では次の 45 文字で表せる。

形式言語(45文字)
/^(?!.*(無料|稼げる|副業)).*@[a-z0-9\-]+\.(com|jp)$/

このように、同じ意味内容でも「形式言語」は圧倒的な情報圧縮と厳密な条件指定を可能にする。

プログラミングや数学では、特定のパターンや処理を極めて簡潔に表現できる。これは、構造化された言語が持つ強みである。情報理論的に見れば、形式言語は冗長性を排除し、情報密度を最大化する特性を持っている。

最近私は、従来なら 10 行以上のコードを書く必要があった処理を、AI とのコミュニケーションで一文で表現できるようになったことに気づいた。例えば「CSV ファイルを読み込んで、特定のカラムの平均値を計算し、結果をグラフ化して保存する」という指示は、プログラミングの基本構造を理解した AI には完璧に通じる

この現象を情報理論の観点から考えると非常に興味深い。計算機科学では、コルモゴロフ複雑性という概念があり、これはあるデータを生成するために必要な最短のプログラム(記述)の長さとして定義される。この概念を借りれば、形式言語は自然言語よりも情報の圧縮率が高いと考えられる。

形式言語と自然言語の情報効率を比較すると次のような特性が浮かび上がる。

言語タイプ情報密度曖昧性学習コスト適した用途
形式言語
(数学・プログラミング)
高い低い高い論理・処理の正確な記述
自然言語中〜低高い低い日常会話・感情表現・物語
専門用語高い中程度高い特定分野内の効率的コミュニケーション

情報システム開発の分野では、自然言語による仕様記述は解釈の余地が生まれやすく、信頼性が低下する傾向がある。一方、数学的記法などを用いた形式的記述言語は、曖昧さを排除し、記述の信頼性を高める効果がある。

古代哲学から情報理論へ:思考表現の歴史的視点

思考表現の効率性への探求は、実は人類の知的営みの歴史そのものと言えるかもしれない。プラトンが哲学のために数学を重視したという事実は広く知られている。

プラトンが創設した学園アカデメイアの門には「幾何学を知らざるもの、入るべからず」と掲げられていたという伝承がある。なぜプラトンはそこまで数学にこだわったのか。私は、その理由の 1 つが数学が思考を明晰にする道具だと考えていたからではないかと推測している。

プラトンにとって、数学、特に幾何学の概念は、現実の不完全さとは異なり、普遍的で完全な真理を持つと考えられていた。それは感覚的な世界から離れ、純粋な理性によって真理を探求する精神的活動であり、魂をより高いレベルへ導くものと見なされていたようだ。

この視点は今日の情報理論や認知科学にも通じるものがある。以下は、古代哲学から現代の情報理論までの思考表現に関する歴史的発展を時系列で示している。

思考表現の歴史的発展
紀元前 380 年頃

プラトンのアカデメイア

「幾何学を知らざるもの、入るべからず」という言葉に表れる数学的思考の重視

紀元前 350 年頃

アリストテレスの論理学

三段論法など形式論理学の基礎を確立

17 世紀

数学的記法の発展

ライプニッツとニュートンによる微積分学の記法開発

19-20 世紀

形式言語理論

フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインらによる数理論理学の発展

1948 年

情報理論の誕生

シャノンによる「通信の数学的理論」の発表

1960 年代

計算複雑性理論

コルモゴロフによる複雑性の概念導入

2020 年代

AI 時代の思考表現

大規模言語モデルとのコミュニケーションによる新たな思考表現の探求

興味深いのは、この長い歴史を経て、私たちはいま再び「思考表現の最適化」という問題に直面しているということだ。AI 時代において、この問題は単に効率性だけでなく、人間と AI の協働可能性にも直結している。

AI とのコミュニケーション効率:構造化表現の価値

AI とのコミュニケーションでは、データ量を抑えながら情報量を最大化する効率的なやり取りが生産性を大きく左右する。ここで特に重要なのが構造化された表現だ。

効果的なプロンプトエンジニアリングの基本原則として、指示の明確性(Clarity)と簡潔性(Conciseness)が挙げられる。曖昧な指示は予測不能な結果を招きやすく、明確で簡潔な指示は AI が意図したタスクに集中し、正確な出力を生成する助けとなる。

この原則を実践する中で私が強く実感したのは、自然言語のみによる指示の限界だ。曖昧さゆえに AI の解釈にばらつきが生じやすい。これに対し、プログラミング言語のような形式言語は、コンピュータに対する明確な指示を与える手段でもあったが、AI に対する指示においても処理内容を厳密に伝えることができる

最近の AI 開発プロジェクトでは、JSON のような構造化データ形式や、Markdown、Mermaid といった特定の記法を用いることで効率的なコミュニケーションを実現している。これらの形式は、情報を構造化し、AI が文脈やデータの関係性を理解しやすくするため、より正確で一貫性のある出力を促す。

AI とのコミュニケーション効率を高める要素を以下に示す。

AI とのコミュニケーションにおいて注目すべき点は、処理の永続性と再利用性だ。AI への指示をプログラムとして保存しておけば、類似の処理を再利用したり、変更点だけを指示したりすることで、UI の操作よりも効率的になる場合がある。

最近私は、Notion へのデータ挿入も UI 操作ではなく、API や MCP 経由で行うことが増えた。理由は単純で、その処理のプログラムを一度保存しておけば、似た処理の時には修正箇所を伝えるだけで済むからだ。最初は手間がかかるが、慣れれば UI の操作を覚えるよりも効率的だ。

専門用語とコンテキスト圧縮:情報効率の極限

専門分野では独自の用語体系(ジャーゴン)が発達する。これは単なる排他性のためではなく、短い単語に多くの文脈を含ませる情報圧縮のためだ。

例えば、医学分野で「心筋梗塞」という専門用語を使うと、「心臓の筋肉への血流が遮断され、その部分の組織が壊死する病態」という長い説明を省略できる。さらに医師同士なら、この用語から危険度や典型的な対処法までの広範な文脈を共有できる。

専門用語は、特定のコミュニティ内で共有された知識や背景を前提として用いられる。これにより、複雑な概念や手順を短い言葉で効率的に伝達することが可能になる。

このメカニズムは、情報圧縮のアナロジーでも理解できる。データ圧縮技術がデータの冗長性を排除して容量を削減するように、専門用語は詳細な説明や背景情報の繰り返しを省略することで、コミュニケーションにおけるデータ量を削減する。

しかし注意すべきは、専門用語による効率的なコミュニケーションは、そのコンテキストを共有していることが前提となることだ。共有されていない相手に対して専門用語を用いると、意図が伝わらず、誤解やミスコミュニケーションを引き起こすリスクがある。

専門用語と情報圧縮の関係を図に示すと次のようになる。

AI 時代においては、この専門用語による情報圧縮はさらに重要性を増している。私が AI との協働で痛感したのは、共通の専門用語を使えるかどうかが効率を大きく左右するということだ。例えば「JSON スキーマで検証して」という一言だけで、AI は一連の複雑なデータ検証作業を理解できる。しかし、この専門用語を知らない人にとっては、同じ指示を伝えるためにはるかに多くの言葉が必要になる。

形式言語と思考構造:認知への影響

形式言語(数学、論理記号、コードなど)を用いた思考と、自然言語を用いた思考はどのように異なるのだろうか。私自身の経験から言えば、形式言語を使うと思考がより構造化されると感じる。

プログラミングの経験が長い人は、日常的な問題でも自然と条件分岐や繰り返しといった構造で考える傾向がある。これは思考の様式そのものに形式言語が影響を与えている証拠かもしれない。形式言語は、自然言語の曖昧さを排除し、厳密な規則に基づいて思考を進めることを可能にする。これは抽象的で論理的な思考能力の発達に寄与すると考えられる。

この観点は、より広い文脈で思考の階層構造という視点にも繋がる。私たちの知的活動をデータ・情報・知識・知性・知恵(DIKIW)という階層で捉えるモデルがある。AI 時代において、このモデルは人間と AI の関係性を理解する上でも役立つ。AI はデータ処理から知識の提供までを得意とする一方、人間は知性と知恵の領域でその価値を発揮する。形式言語の学習は、この階層を往復する思考力を鍛える効果があると考えられる。この話題については、「AI は人間の知性を奪うのか?データから知恵への階段を生成 AI 時代に再定義する」という記事で詳しく掘り下げている。

形式言語は人間の認知能力を拡張する「認知ツール」としても捉えられる。文字や記号といった外部の表現を利用することで、より複雑な情報を扱い、より高度な推論を行うことが可能になる。形式言語は、思考プロセスを外部化し、客観的に検証可能な形で表現することを助け、思考の明晰性と厳密性を高める効果が期待できる。

これらの特性からは、数学やプログラミングを学ぶことの意義が見えてくる。それは単なるスキル習得ではなく、思考様式そのものを拡張する認知ツールの獲得なのかも知れない。

AI 時代に求められるスキルセット:再評価される数学とプログラミング

世界経済フォーラム(WEF)の「仕事の未来レポート 2025」によると、企業が最も重要視するコアスキルは「分析的思考」であり、次いで「回復力、柔軟性、俊敏性」、「リーダーシップと社会的影響力」が続く1

技術関連スキルとしては、「テクノロジーリテラシー」や「AI とビッグデータ」も重要なスキルとしてリストアップされている。AI・機械学習スペシャリスト、ビッグデータスペシャリストといった技術関連職は、成長率の観点から最も急速に拡大している職種だ。WEF のレポートによれば、AI・機械学習スペシャリストの需要は 2027 年までに 40%増加すると予測されている2

しかし同時に、AI やビッグデータといった応用スキルが重視されるあまり、それらの根幹を支える数学やプログラミングといった基礎的な学問分野の重要性が軽視されるリスクも指摘されている3。これらの基礎を理解せずに応用ツールに依存することは、イノベーション能力や問題解決能力を制限し、将来的な脆弱性を生む可能性がある。

AI 時代においては、特定の技術スキルだけでなく、より普遍的な能力も重要視される。複雑な思考能力、批判的思考力、そして戦略的学習力など、変化に対応し、自ら学び続ける能力が不可欠となる。

プログラミングの役割も変化している。AI によるコード生成技術の発展により、一行一行コードを書く作業から、AI に対して意図を伝え、生成されたコードを検証・修正し、より高レベルなシステム設計や問題解決に注力する方向へとシフトしていくだろう。

しかし、プログラミングの基礎知識(論理、アルゴリズム、データ構造、言語構文など)の重要性は依然として高い。AI が生成したコードを理解し、検証し、デバッグし、セキュリティを確保し、AI では対応できない複雑な問題を解決するためには、これらの基礎知識が不可欠となる。

将来のビジネスパーソン(特にエンジニア)には、基礎知識に加え、次のような新たなスキルセットが求められるようになるだろう。

思考表現の最適化がもたらす未来

これまでの考察から、数学やプログラミングは思考表現のためのコストが最小の媒体であり、AI 時代においてその価値は再評価されつつあると言える。しかし、それは単にプログラミング言語を覚えるという従来の意味でのスキル獲得ではなく、構造化された思考と表現の習得という、より本質的な意味合いを持つ。

私が特に注目しているのは、AI との協働において「思考表現の経済学」が働き始めていることだ。複雑な指示を AI に効率的に伝えるためには、プログラミング的思考や構造化された表現が極めて有効だ。これは思考の生産性を根本から変える可能性を秘めている。

従来のプログラミングは、主にコンピュータへの指示という文脈で理解されてきた。しかし今日、その本質は「思考の構造化と表現の最適化」という普遍的な知的活動へと拡張されつつある。プログラミングの概念や構造(条件分岐、繰り返し、モジュール化など)は、複雑な思考を整理し効率的に表現するための強力なツールセットなのだ。

また、数学的表現の持つ簡潔さと厳密さは、曖昧さを許容できない AI とのコミュニケーションにおいて、思考を正確に伝達するための共通言語として機能する。古代ギリシャの哲学者たちが数学に見出した「思考の明晰化」という価値は、AI 時代に新たな意義を持って蘇っていると言えるかもしれない。

最後に、思考表現の効率性は単なる生産性の問題ではなく、創造性と革新の可能性にも関わっている。表現のコストが下がれば、より多くの思考実験や創造的な試みが可能になる。AI との効率的なコミュニケーションを通じて、人間はより高次の思考活動に集中し、新たな価値創造に取り組むことができるようになるだろう。

数学とプログラミングが持つ思考表現としての価値を再認識し、それらを単なる技術的スキルではなく、思考の道具として位置づけ直すことで、AI 時代における人間の知的活動の可能性は大きく広がっていくと信じている。

参考文献

Footnotes

  1. World Economic Forum, "The Future of Jobs Report 2025," https://www.weforum.org/publications/the-future-of-jobs-report-2025/

  2. World Economic Forum, "The Future of Jobs Report 2025: In-Demand Skills," https://www.weforum.org/publications/the-future-of-jobs-report-2025/in-full/3-skills-outlook/

  3. Weigert, F. (2025). "What will the working world of tomorrow look like?", Liberty News. https://liberty.ch/en/post/13760

思考法
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吉崎 亮介

吉崎 亮介

株式会社和談 代表取締役社長 / 株式会社キカガク創業者

「知の循環を拓き、自律的な価値創造を駆動する」をミッションに、組織コミュニケーションの構造的変革に取り組んでいます。AI技術と社会ネットワーク分析を活用し、組織内の暗黙知を解放して深い対話を生み出すことで、創造的価値が持続的に生まれる組織の実現を目指しています。