経営判断の構造的問題
経営者である友人との話を共有したい。会社がうまくいき始めてボーナスを出すことにしたという流れだった。それ自体はうまくいき始めたというので喜ばしいことではある。一方で、うまくいったからボーナスを出すということを私はあまり良いと思わない。
この判断を聞いた瞬間、私は警告を感じた。直感的には正しく見える判断が、組織全体に与える長期的影響を分析すると、深刻な構造的問題を孕んでいることが見えてきたからだ。
何に明確に反対しているかというと、長期的な影響を無視して、短期的なメリットに走る行動に対してである。特に、構造的に分析すれば予見できる問題を、直感的な判断で見過ごしてしまう危険性について警鐘を鳴らしたいのである。
誤解を避けるために明確にしておくが、私が問題視しているのはボーナス制度そのものではなく、その設計思想と導入プロセスである。適切に設計され、長期的な影響を考慮したボーナス制度は、組織にとって非常に有効なツールになり得る。問題は、「うまくいったから出す」という短絡的な判断プロセスにある。これは、ボーナス制度に限らず、すべての人事制度、福利厚生、組織運営、またそれらを超えた意思決定全般に共通する構造的な問題である。そのため、あくまでボーナスの制度を例題として、長期的な意思決定の検討材料を今回は考えたい。
見えない負債と見える成果:構造分析の重要性
私たちは日常的に「負債」という概念に慣れ親しんでいる。お金を借りれば返済義務が発生し、利息も付く。しかし、組織にも同じような構造の負債が発生することは意外に理解されていない。
組織にも金融負債と同じ構造の負債が発生する。そして、金融負債以上に厄介なことに、組織負債は人間の感情という予測困難な要素が絡むため、その影響の予測と制御が極めて困難になる。
友人の判断を構造的に分析すると、これは典型的な「組織負債の蓄積」パターンである。短期的な従業員の満足度(パフォーマンス向上)を優先して、長期的な組織の柔軟性(コスト構造の硬直化)を犠牲にする判断だ。
技術者の方なら、これは「技術負債」と同じ構造だと理解できるだろう。短期的な開発速度を優先して、長期的な保守性を犠牲にする判断のことだ。
経営の根本法則:構造思考で見る短期と長期の逆説
私が思うに、短期的なメリットの多くは長期的なデメリットになるということで、これはとても重要だ。裏を返すと、短期的なデメリットの多くは長期的なメリットになるということである。
これは、最適化問題の考え方と同じ構造で、部分最適と全体最適の違いである。目の前の問題だけを解決する方法と、システム全体を最適化する方法は、しばしば正反対の答えを導く。
会社を経営するのであれば一番最初に学ぶであろうファイナンス。そこで定式化もされている DCF 法などで算出する企業価値は生涯に獲得する利益ベースで算出している。つまり、経営は「生涯」といった時間で積分したものに対して評価されるものであり、当然、それが最大化されるように考えていくべきである。
これを分かりやすく言い換えると、経営は生涯価値の最適化問題である。だから短期的にメリットを追った結果、生涯的な報酬が下がったのであれば、それは経営者としては間違った判断になるということ。短期的にも長期的にもメリットのあるようにその時の制約の中で最大化していくことが重要である。
日本企業の横並び思考:非最適解への集団収束
そこで、今回のボーナスの話に戻るが、何が長期的なデメリットになるのだろうか。ボーナスという制度が存在しない前提で従業員は入社し、その条件に納得して働いてくれている。そこに対して、会社の業績が好調で余剰資金があるからという理由で、ボーナス支給が決定される。日本社会ではボーナス制度が一般的であるため、「他社も支給しているし、日本企業として当然だろう」という発想で導入を決める経営者もいるだろう。
しかし、「他の人もやっているから」という理由での行動選択は、自社固有の条件を無視した判断であり、最適解から大きく乖離する危険性が高い。
集団思考の罠:独自性の放棄
これは、集団心理学でよく見る「みんながやっているから正しい」という認知バイアスと同じ思考パターンだ。本来なら、自社の状況、制約、将来性を分析して最適解を導くべきなのに、群れの行動に従ってしまう。
むしろベンチャー企業は、既存の慣習に疑問を持ち、より良い方法を模索するべき存在である。「従来のやり方は本当に正しいのか?もっと効果的な方法があるのではないか?」と問題提起し、革新的な手法で世の中を変えていく使命がある。
それにも関わらず、横並びの大手企業と同じことをして「私たちの会社もボーナスを支給できる会社だ」と主張するのは、ベンチャーとしてのアイデンティティの放棄に他ならない。
もちろん、大切なことであるため何度も補足するが、ボーナスという存在自体を直接的に否定しているわけではない。考えなしに短期的な判断をしていることに対する問題提起であり、ボーナス以外にも数多くのことが当てはまるため、自身の身近なことで読み替えてほしい。
ボーナス制度の本質的目的:何のために導入するのか
ここで一度立ち止まって考えてみたい。そもそもボーナス制度は何を目的として導入されるのだろうか。
一般的に語られるボーナス制度の目的は複数ある。従業員への感謝の表現、業績連動による動機付けの強化、優秀な人材を引き留めるための人材確保策、他社との競争における労働条件の均衡、そして会社の好業績を従業員と共有する仕組みなどである。
これらの目的は、それぞれに合理性がある。特に「従業員への感謝を伝える」「頑張りに報いる」という目的は、多くの経営者が真摯に抱く想いでもあるだろう。
しかし、問題はその目的と実際の動機が乖離しているケースである。表向きは「従業員のため」と言いながら、実際の判断基準は全く別のところにある場合が少なくない。
経営者の見栄:本来の目的を見失う瞬間
なぜこのような判断が生まれるのか。従業員側からの強い要望があったわけでもないのに、経営者自身がそれを必要と感じ、日本企業としての体裁を整えたいというプライドのために行動している可能性もある。もちろん、従業員に対する配慮も大いにあるだろう。
高いボーナスを支払ったり、高級なホテルで社員イベントを行ったり。これは本当に先ほど整理した本来目的である「従業員への感謝の表現」「動機付けの強化」「人材確保策」といった目的を果たせているのだろうか。
経営者がこれぐらいのボーナスを出せる会社である、高級なホテルでイベントができる会社であるという見栄を張るために利用しているだけではないのだろうか。
これは典型的な目的と手段の混同だ。頑張ってくれている従業員への感謝を伝えるという本来の目的が、いつの間にか「ボーナスを出せる会社」「高級ホテルでイベントを開催できる会社」という外部への見栄が真の動機にすり替わってしまっている。本来の目的を達成するために過剰な手段を選択し、システム全体のパフォーマンスが劣化する。これは、要件定義の失敗による典型的な組織負債パターンだ。
親友から言われた「うまくいっている時は良いよね」の真意
指摘をしている立場の私も恥ずかしながら会社を始めた時は従業員が喜ぶ短期的な施策をたくさんした。だからこそ、この記事の内容は自戒の念を強く込めている。ほとんど検討もせず、重要な役割を簡単に与えたり、ノリで期待も込めて昇給させたりした。
当時の私は、検証も準備もない状態で重要な判断を下していた。もし同じことを技術の世界でやったら、「こんな検証不足で重要なシステムを稼働させるのか?」と自分で自分を批判しただろう。しかし、組織運営となると経験の不足もあり、なぜか同じ慎重さを失ってしまった。
その時に親友に言われたのは「うまくいっている時は良いよね」という言葉である。
当時の私にはこの言葉の真意が全く理解できなかった。業績も順調で、従業員も喜んでいる。何が問題なのか、と思っていた。うまくいっている時は何をしてもよい。だから、いまあなたにこの言葉は届かないかもしれない。
コロナ禍で訪れた現実:予言の的中
そして、数年経ち、コロナの期間を経て状況は激変。うまくいかないことを経験した。そして、このときに「うまくいっている時は何をしても良いよね」という言葉の正体がわかった。
組織負債の影響が小さい時代:楽観的な組織運営
従業員数が少なく、どんな制度でも一時的に機能。期待値込みの昇進、ノリでの昇給など非効率な判断を蓄積。
突発的な高負荷:組織危機の発生
コロナ禍という予期しない高負荷な状態に。過去の楽観的判断が一斉に問題化し、組織全体が不安定化。
緊急対応:組織再構築の痛み
降格などを含む組織再編という「大幅な変更」の実行。過去の判断との整合性がないため、大きな軋轢と対立が発生。
組織の再設計:持続可能性を重視した文化の確立
制約がある時こそ本質が問われる。すべての意思決定において、長期的な視点を持つことが重要。
この時に、ほとんど検討なしに仕込んでいたことが、裏目に出ていくのである。期待値込みで昇進させていた人などを、経営状況が悪化したので再設計して整理しようとすると当然揉めるのである。
これは、過去の判断と現在の判断に一貫性がないことから生じた問題だった。相手からすれば、「昇進時には能力を認められたのに、なぜ今は能力不足と言われるのか?」という疑問が生じるのは当然だ。
こちらの言い分としては、期待に満たなかったのであるし、このコロナ禍で経営が厳しいので、その引き締めという経営上の理由も合理的にはあるが、人は一度昇進するとその時は嬉しいが、その後にはそれが自分にとって当たり前となる。この構造的な問題を甘く見過ぎていた。
人間の認知システム:参照点の固定化メカニズム
これを分かりやすく表現すると、人間の認知には基準点の設定という機能があるということだ。一度設定された基準点(地位、給与水準)は、その人にとっての「普通の状態」として記憶される。そうなると、降格というのが、本来その人がいるべき場所だったとしても、そう感じられないのである。人は生活水準を上げると、なかなか下げることができないという話を聞いたことがあると思う。
これと同じで、一度昇進すると最初は謙遜していても、その地位に見合う責任を果たそうと努力する。しかし、何度かその地位にいることが続くうちに、その地位は自分にとって当然のものという認識に変わっていく。 同様にボーナス制度においても、最初は「ありがたい」と感じていても、継続的に支給されるうちに「これぐらいは当然もらえるもの」という期待値が内在化されていくのである。
これは行動経済学でいう参照点依存性と損失回避性によって説明できる現象だ。参照点依存性とは、人間が絶対的な価値ではなく、基準点(参照点)からの変化で満足度を判断するということである。つまり、「過去の良かった状態」が新しい基準点として記憶され、それが「普通の状態」になってしまう。損失回避性とは、同じ大きさの利得と損失でも、損失の方を約2倍強く感じるという人間の認知特性である。昇進で得た+100 の満足度に対して、降格による損失は-200 程度の不満として感じられる。この 2 つの要素が組み合わさることで、一度与えた待遇を下げることの心理的インパクトは、当初その待遇を与えた時のプラス効果を大幅に上回ってしまうのである。
一度設定された期待値は、手動で調整しない限り永続化される。そして、人間の認知システムには自動的な期待値リセット機能がない。技術者の方なら、これは「ガベージコレクションが存在しないシステム」と同じだと理解できるだろう。
組織負債の複利効果:満足度という債務が雪だるま式に増大
一度ボーナスを出してしまうと、それ以降同じ額かそれ以上を出さないと、前よりも下がったのはおかしいと感じられてしまい、モチベーションを上げるはずだったボーナスがモチベーションを下げる要因を作ってしまっているのである。
これを数値的に説明すると、満足度という債務の複利効果が発生している。
- 初年度:ボーナス支給により +100 の満足度効果
- 2 年目:同額支給により ±0 の満足度効果(当然視される)
- 3 年目:減額により -200 の満足度効果(損失回避性により 2 倍の負の効果)
つまり、累積効果は +100 + 0 + (-200) = -100 となり、何もしなかった場合よりもマイナスになる。これがいたちごっこである。ちょっと無理をして社員に一時的に喜んでもらおうと思って出したボーナス。これが会社を一生苦しめる原因になってしまうのである。
問題解決の設計思想:感謝を伝える最適化アプローチ
もちろん、この話を聞いてもボーナスを出したり、社員向けに福利厚生を用意したりすることを経営者は考えることはやめないでほしい。一生懸命頑張ってくれている社員に報いたいという気持ちは忘れてはならない。
だからこそ、もっと別の方法がないのかを常に検討すべきなのだ。これは、問題解決の基本プロセスと同じである。
要件定義の見直し:本当に解決したい問題は何か
ボーナスを出したいというのは、本当にボーナスを出すことが目的だったのか?
例えば、頑張ってくれている社員に「感謝を精一杯伝えたい」というのが本来の目的であり、ボーナスを出すというのは解決手段の 1 つでしかない。それであれば、組織負債を発生させずに、同じ目的を達成する代替手段を検討した方が良い。
ボーナスを現金で手渡しでもない時代に、勝手に給与と合わさって銀行の口座に入っているボーナスに、ほとんどの人は経営者が期待するほど感謝は伝わっていないだろうし、感謝もされないだろう。これを読んでいる人は実際に経営者にボーナスをもらっていることに、これほどまでに議論があることを感じとり、感謝したことがあるだろうか。
これは、従業員体験の設計ミスだ。経営者が期待する効果(感謝の伝達)と、実際の従業員体験(給与振込の一部)にギャップがある。
キカガクでの実践:親への手紙という代替案
私がキカガクを創業して社長をしていた時は、社員向けにそういった感謝の気持ちを伝えるための代替案を用意していた。それから若くしてリスクを取ってベンチャーに来てくれている親も心配しているはずである。子供にとって親が喜ぶことは大変嬉しい。
だから、親向けにも感謝を伝えた手紙や、社内イベントや働いている風景の写真を送っていた。
今、息子が生まれてさらによくわかるのだが、子供の成長の姿は嬉しい。母曰く、いくつになっても嬉しいそうだ。創業まもない頃は成長への投資も重なり、常にお金に余裕がない。そのため、ボーナスを支払うことができなかったけれど、20枚ほどの写真や手紙を用意するのは一家庭あたり1,000円もあればできる。
知人で高額なボーナスをもらっても、感謝している人をほとんど見たことがないが、この手紙はどの親からも喜ばれ、感謝の手紙を何通も受け取った。そして、その親が喜んでいたという姿を嬉しそうに社員が話してくれた。これは、同じ目的を達成しながら、制約条件(コスト、持続可能性、副作用)で圧倒的に優れた解決策だった。
もちろん、この話を聞いても、そんな手紙よりもお金の方が嬉しいという人もいるだろう。これは人それぞれである。だからこそ、ボーナスを出すこと自体を否定しているわけではない。ただ、ボーナスを出すことが目的になってしまっている経営者に対して、本当にそれが目的なのか?という問いかけをしたいだけである。
技術者視点での人間関係の最適化
この経験から学んだのは、人間関係にも適切な設計思想が必要だということだ。
従来のボーナス制度
- 入力:高額な金銭 → 出力:一時的な満足
- 副作用:期待値インフレ、持続可能性の危機
代替案:親への手紙
- 入力:少額のコストと工夫 → 出力:持続的な満足
- 副作用:家族関係の強化、従業員ロイヤルティの向上
より良い手法は、同じ成果を得るために必要な資源が少なく、副作用が少ない手法である。
技術者の方なら、これは「より良いアルゴリズムは、同じ結果を得るために計算量が少なく、メモリ使用量が少ないアルゴリズム」と同じだと理解できるだろう。
制約がある時こそ問われる経営の本質
私もかつての親友のように言っておきたい。うまくいっている時は良い。
私はこの数年、コロナ禍で絶好調だった自分の会社を建て直したり、赤字であった上場企業を黒字に立て直す時期を経営者として経験をした。こういった時に今までのただ何となく目的と手段を履き違えて行動していたツケが返ってくる。
制約がない時は何をしても一時的にはうまくいってしまう。だからこそ、本質的な価値創造ができているかどうかが「その時点」ではわからない。しかし、制約がある時こそ、本当に価値のあることとそうでないことが明確に分かれる。
私が経験から学んだことは、コストをかけた施策の多くは実は組織の本質的な価値創造に寄与していなかったということだ。逆に、厳しい制約の中で考え抜いた施策は、効率的で持続可能な価値を生み続けた。これは、制約が創造性を刺激し、本質的な問題解決を促進するからである。
高いボーナスを支払ったり、高級な会場でイベントを行ったり。これは本当に本来の目的を果たせているのだろうか。
常に何が目的であるか。そのために長期的に考えても持続可能で効果が高いことは何か。これを真剣に問い続けてほしい。
この考えるきっかけが「ボーナスは出すべきか」といった議論であったが、これは当然一例である。だが、その本質はもう十分みなさんには伝わったはずだ。